スマホのない生活
別に子供の頃からスマホがあった年代ではない。
むしろ次々と新しい製品が出てくるたびに適応したり、できなかったりという年代だ。
スマホだってそもそも文字が小さくて見るの大変とか言っているんだから後から出てきた新製品だ。
これが欠かせなくなってしまった。
いろんなことができてしまうから。
高校、大学時代というのはウォークマンが流行ったなぁ。
大学時代なんていつも腰にウォークマンがついていて音楽聴きながら電車に乗っていた。
気が付いたらスマホがその完全な代わりになっている。
それどころか持っている音楽の大部分がそこに収容されていて、昔で言ったらキャビネットに入った何十枚、何百枚のレコードを持ち歩いているようなもんだ。
大学時代なら大量のカセットテープを持ち歩かないといけなかったのが今はそんな感じなのだ。
通信手段にもなっている。
人より先んじて携帯電話を持ったと自負しているほうくだが、スマホは多分別のものになっている。
だって移動中にテキストのやり取りしているわけだから。
携帯電話はどっちかというとさすがに電話が主要機能だった。
でも待ち合わせの場所に向かうのに今は電話なんかしない。
テキストのやり取りで完結だ。
そんな便利なスマホをある日充電中なのを忘れて外出してしまった。
駅まで歩いて、さて音楽を聴こう、と思ったらスマホがないことに気が付いた。
家に「スマホを忘れた」なんて送信することもできない。
いつも音楽とともに移動していたが、それがなくなった。
と言ってもそこまで不便になったわけでもない。
ないならないでいいか。
とりあえず座れれば電車の中では寝るし。
なんて気楽なもんだ。
ということで別にそこまでダメージ受けずに進むことはできた。
だが。
やっぱりなんだか落ち着かない。
気が付けば家以外の連絡先なんかまったく知らない。
今持っている連絡手段は公衆電話だけだ。
そこからかけられる電話番号は自宅の番号しか覚えていない。
ということで公衆電話を探すと意外と駅の改札周辺にはちゃんとあることを再発見。
だが、家族以外の、例えば君には連絡することができない。
そもそも電話番号さえ知らない、細かい住所さえ知らない友達が結構いる。
ネットが麻痺した瞬間、君たちとは連絡不能だ。
そんな時頼りになるのは紙に書いた住所録だと以前何かで読んだが、意外とそうかも知れないね。
電車の中で思いついたことを適当につぶやくこともできない。
それができたから何なのかというとほぼ何でもないんだが、できたことができないと不便に感じる。
人間ってそんなものなのかも。
なんてことを考えながら、帰りの行動とか変わったりしたので、結局テレホンカードで家に電話をかけた。
まさかの時のために持ち歩いているテレホンカード。
これがまさかの時なんて、まさか夢にも思わなかったなぁ。
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