福袋の恐怖
どうしても福袋が買えない。
なぜ中身が分からないものに殺到するのか意味が分からないからだ。
子供服屋の福袋は以前買ったことがある。
もちろんほうく自身がそんなことを思いつくはずがない。
子供服についてはサイズも変わったりするしどんなものでも来ている子供が文句を言うことが考えにくいのでまあよしとしたわけだ。
これが自身のものであると想定するとそれはもう恐怖でしかない。
何に対する対価なのか不明なのだ。
それに大切な大切なお金を半分笑いながら投入するのだから恐ろしい。
100万円の福袋なんてものもある。
もはやどうかしてるとしか思えない。
設定する方もする方だが、売れるというのだから理解不能である。
福袋の楽しみは中に何が入っているか想像しながら楽しむのだそうだ。
お店のコメントでは袋の中身は必ず値段以上のものが入っているとのことだが、売る側が言っていることを真に受けるのが信じられない。
更に福袋売り場のそばで中身を確認し、近くの人といろいろ交換する、ということもできるらしいのだがそれで本当に値段以上の価値を手に入れたと言えるのか。
そんなことを考えだすときりがない。
福袋を買ってお得だった、というのは自分自身を納得させるための言い訳ではないかとさえ思ってしまう。
それでも売る側がいて買う側がそれなりにいるのだから日本的文化なのかも知れない。
最近は外国人も買うらしいし。
正月はめでたいのだから何でもしてみたら良い、ということなのか。
それでもほうくは一つ一つ品物は納得した上で買いたい。
福袋なんか買うから家が物であふれかえるのだ。
ま、そんなことはブログでしか言わないけどね。
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