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地雷原で踊れ

何かで読んだことがある。
ドイツに行っていた人が、道を横断しようとした。
歩行者用の信号を見ると赤だったが、車が全然いないので渡ろうとするとそばにいたドイツ人のおばちゃんだかおばあちゃんだかにめちゃくちゃ怒られたのだそうだ。

理由は何かと言うと…。

「信号を守るのはルールである。たとえ信号を守らないことであってもルールを守らないことを一度犯してしまうと、次第にルールを破るようになっていく。つまり犯罪者に近づいていくことである。」

ということだったようだ。(ちょっとうろ覚えだが、趣旨は合ってる。)

なるほど。
実にドイツ人らしい発想だ。

しかし実に人間の心理をついている気がした。
まあ膝を打って納得したりそういうアクションはさすがにしなかったけどね。

確かにそうだ。

子供の頃はきっと道を渡る時もきっちり信号を守っていたはずだ。
車がいるかどうかなんてことはほぼ関係なかった。
しかしある時、そばの大人が信号が赤なのに渡っていった・・・。

(なんだ、赤でも渡ってもいいんだ・・・。)

次第に成長して中学生や高校生になった。
ルールをきちんと守ることがあまりかっこいいことではない感じになったりする。
ちょっとルールを守らないほうがかっこいい感じだったりする。

そうなったら・・・。
車が来てない時に赤信号を渡るだろう。
一度渡ってしまえば・・・。
今度は車が来てても隙を見て渡るようになるかも知れない・・・。

なんだ。タイミングをはかれば簡単じゃないか。

他のルールも破ってみるか。

・・・・・・。


そんなことはないと言う人もいるし、ある程度そういうこともやったほうが人生経験として学ぶという人もいるだろう。
それが成長だという人もいるかも知れない。

だが、車のいない道で信号を守る人よりは確実にルールを破りやすくなったことは確かだ。
ドイツ人は合理的というイメージそのままだが、これがある種真理をついているとも思える。

例えば安全な道のちょっと向こう側に地雷原があったとしよう。
最初は怖くて遠くから見ているだけだ。
でも興味がわいてちょっと近づいてみる。
石を投げてみたり、ちょっとつま先で地面をつついてみたり。
でもそんなことを繰り返すうちに何となく大丈夫だと思えてくるかも知れない。
大丈夫な場所を見つけて人を驚かそうとしてそこで踊ってみるかも知れない。

ある日、突然大丈夫だと思っていた場所で地雷が爆発することがあるかも知れないのだ。
でも分かっていたはずなのだ。
本当は近づいてはいけなかったことを。
そこまで調子に乗ってはいけなかったことを。

爆発してからはもう遅い。
だってもう爆発しちゃったんだからね。

今も地雷原で踊っている人たちは、リスクを負っていることを理解しておくべきなんだろうな。
そして爆発しちゃった人たちは・・・。

フィリピンに行ったり、お店でなぐられたり、携帯電話を出さなかったり・・・。

こう、言葉をかけてあげよう。

「あの時信号守ってれば良かったのに・・・。」

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コメント

なんかこれ
ちゃんとした雑誌の
ちゃんとしたコラムレベルの文(構成)になってるな。
6年続けて、腕上げたな。グッジョブ!

○まさ@大阪さん
なんかほめていただいてありがとうございます。
いつもこんなことを考えているわけではなく、当然一般道でスピード出し過ぎることもあります。
ただリスクを認識しているのと、まったく何も感じないのとでは次の行動が違ったものになるということで・・・。

信号もくそも横断歩道さえ関係ないアジアの国だってまあ、結構好きですよ。念のため。

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