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さらば鉄郎、さらばメーテル、さらばブルートレイン

昨日、東京駅発着の最後のブルートレイン「富士・はやぶさ」が東京駅を後にしたようだ。
たまたま家でその様子を特集した国営放送の番組を見てしまった。
「富士・はやぶさ」に関わる様々な人たちの思いが伝わってきて、1回も乗ったこともないのにちょっと寂しくなった。

ほうくは一度だけ寝台特急に乗ったことがある。
「富士・はやぶさ」より先に廃止されてしまった「銀河」に大阪のほうから乗って東京に帰ってきたのだ。

大学時代だから今から20年以上前になる。

大学のアーチェリー部では関西の大学と定期戦があって毎年関西に行っていたのだが、別に全員揃ってぞろぞろ移動するわけではなく、それぞれが交通手段を決めて現地集合をしていたと思う。
さすがに単独行動というほど交通手段に詳しいわけではないのでみんなが誰かと一緒のパターンでそれぞれに向かう、ということだった。

ある年、どうやって行こうかと思っていたら同期のAが
「金がないので鈍行で行って、帰りは寝台特急の銀河にしよう。」
と言ってきた。
「鈍行??銀河??」
ということで東京駅発の東海道線大垣行きに二人で駅のホームに並んで乗ったのだが、ちょうど週末ということもあり座席を確保できないという最悪の事態に陥った。
社内は飲み屋帰りのサラリーマンで溢れ、酒の臭いがぷんぷんするという有様。
アーチェリーケースが結構でかいのでそれを椅子代わりに通路で座っていたのだが、徐々にサラリーマンたちが途中の駅で降りていくとやっと座席を確保することができた。
早朝、なんか聞こえるので目を覚ますと車内でギターをがんがん弾いて歌っている奴がいた。

あまりにも鮮烈なその姿。
朝の爽やかな空気の中で普通に歌っているそいつの姿は今でも心に焼き付いている。

そして帰りの寝台特急銀河。

初めて乗ったその二段式のベッドは、昔寅さんの映画で見た昭和の時代と強く結びつくような作りだった。
当時で、もはや古さを感じていたくらいだからよくぞ最近まで走っていたという感じだ。
でもシーツや浴衣(もあったと思うが不明)などはきれいに洗濯されており、意外というのは失礼かも知れないが清潔さを感じさせたものだった。
一緒に乗ったAだけじゃなく帰りは何人か一緒だった記憶があって、薄暗くなった車内の通路で同期の女子のかた(!)と話をしたり、みんな寝静まってしまった頃にぼんやりと車外の後ろに流れていく光を眺めていたのを思い出す。

なんかその頃は時間の早さが今よりもゆったりしていたような気がする。
学生だったからだろうか?

今は時間も値段もブルートレインが競争できない時代になってきてしまったらしい。

でもブルートレインが廃止になったら、ドカベンを読んだときに
「足だ!ブルートレイン(学園)は足で甲子園にやって来たんだ!」
っていうセリフが理解できなくなるじゃないか!

そんなことを思った3月14日だった。

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コメント

こんばんは。

九州出身ですから、ブルートレインといわれる前から利用していました。寝台がなかったころから・・・、ははは・・・年が分かってしまいますが、青春の思い出になっています。

そういえば、寝台車は贅沢でしたっけ・・・(笑い)。

nakamuraさん
やっぱり結構青春の思い出になっているんですね。
特に長旅だと記憶に残りますよね。
私もたった1回の寝台特急の旅、忘れない思い出です。
今考えると寝台車安かったのか不明ですが。

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