それが運命
「運命」について興味はあるかな?
ほうくは若かりし頃、この「運命」についてとてもとても興味を持った時期があった。
以前書いたが占いについて研究していたのもこの時期である。
「運命」とは何か?
この誰も分からないことについていろいろと考えていた時期もあった。
例えば・・・。
自分の人生は全て決まっている。
まるで既に完成した映画のDVDを観るように、自分が辿るこれからの様々な出来事は既に決まっている。
と考えたとすると、じゃ今日実は飲み会なんだが、このまま行くのもなんか決められているみたいでいやだ、よしじゃ運命に逆らって今日は行くのやめよう!
なんて考えると、その「行くのやめよう!」という選択自体が既に運命なのではないか、なんて・・・。
要するにきりがないわけだ。
そこで長い長い試行錯誤の結果、ほうくは一つの結論に至る。
もしかしたらこれから遭遇する全ての出来事はあらかじめ決められた運命なのかも知れない。
しかし、結局その「決められた運命」を知る有効なツールを誰も持っていない。(占いを含む。)
よってどっちでも同じ。
それなら、自分自身の思う通りの行動がいちいち運命を決めているんだということにしよう!
しごく簡単なことになってしまった。
しかしこの結論に至ってなお、非常に興味があるのがインド南部にあるという自分の人生がすべて書かれているという葉っぱの話である。
実際にほうくが知っている人が行って自分の運命を読んでもらったそうだ。結構細かく書かれていて、いつこの場所に来る、とかそんな具体的な話も書かれていたそうだ。しかし未来に関しては・・・。
ほうくには教えてもらえなかった。
すごく興味がある。
興味があるが、これからの人生を知ってしまうのもちょっと怖い・・・。
さて、運命によって決められている未来を避けたりすることは可能か?
ほうくは「気分が悪い」「行く気がしない」「テレビが気になる」などの他愛もない気分の変化を重視することにしている。
そしてここが唯一、「悪い運命」に対するアンテナとして機能する貧弱なツールなのではないかと勝手に思っているのだ。
だから
「なんかどうしても気分が悪くて飛行機に乗れなかった。」
とか
「どうしてもウ○コがしたくて次の電車にした。」
なんてことがいちいち何か重大なことを無意識に避けているのかも、なんて。
ウ○コすること自体がラッキーなんて、普通ないだろう?
でもそれで重大事故を避けられたとしたら・・・。
「アンビリバボー」で「運命のウ○コ」って題で放送して欲しいね。
でもウ○コって気分の変化でもなく、単なる自然の摂理か・・・。
« 万華郷の日々 | トップページ | 越後湯沢の雪の中に君は・・・ »
コメント
この記事へのコメントは終了しました。
どうしても話題がソッチ系に流れてくようですが…
運命については映画でもよく様々に解釈されてますよね。
個人的に好きなのは『オー・ゴッド!』という映画での、主人公と彼にしか見えない「神様」とのやり取り。
「神様なら、僕はこれからどうなるのか教えてよ!」
「そんなことは知らん。それは運命だからな」
未来は誰にも予想出来ないから受け入れるべし、というわけ。
ただ一つだけ確かなのは、「運命」とは常に「過去」にしか存在しないということでしょうか。
過ぎてみて、「ああなる運命だったんだ」とか「あの出会いが運命だった」とか、はじめて分かる。
ということで、あの日私が暗闇で用を足さなければならなかったのも、きっと運命だったんでしょう(?!)。
少々悪ノリにて失礼(;^_^A
投稿: Tommy | 2009/02/26 01:11
○Tommyさん
すいません、流れが最近同じ感じになってますね。
といことでしつこいようですが
「真実の愛は後から気付く!」
だって世間のニュースもみんなのネタも今回は似たような傾向になっちゃったもんで・・・。
ぼくらも、そしてこのコメントを読んでいるあなたとも「運命の出会い」なわけですね!
投稿: ほうく | 2009/02/26 18:17
あぁ! 私の言う「ソッチ系」ってのは、ソッチじゃなくてアッチですよ。
真ん中に〇が入る、ほうくさん「お得意ネタ」のほうで…
って、あえて書こうかどうしようか迷って、やっぱり書いてしまった。
こういうの、大事だから(うそ!)。
投稿: Tommy | 2009/02/26 20:55
○Tommyさん
そうでしたね。
そっちのほうが流れとして最近多いかも。
それもウン命なのかも・・・。
投稿: ほうく | 2009/02/27 12:36