« 魔球の挑戦 | トップページ | 中華なGW »

聖なる火

スポーツは政治とは無縁である。

なんてことは全くない。

スポーツは常に政治に利用されている。
スポーツは商業主義にも汚染され、ドーピングにやられ、性別詐称にやられ、年齢詐称にやられ、審判にやられ、買収にやられ、道具の差にやられ、身長差にやられ、ルールにやられ、差別にやられる。

常にそうなのだ。

スポーツの祭典が平和の祭典だとは限らない。

もともと順位を争っているのだから。
熱い血を滾らせているのだから。

負ける口惜しさに血が逆流し、勝った嬉しさに涙が止まらなくなる。

オリンピックは平和の祭典ではなく、はっきりと順位をつける真剣な争いの場なのだ。

平和の祭典と言っているのは、ボクシングでもレスリングでも相手を殺さないから、という理由ではないのかな?なんて個人的には思っているんだが。

スポーツにとって唯一拠りどころとなるのは、公正なルールが規定されている、という一点だけなのだ。
そのルールに従って競技をすることに選手は同意しているわけだ。

さて、聖なる火のリレーだが、これにルールはない。
だってこれ自体はスポーツではなく、単なる記念行事なのだから。
それが何の象徴であるかは人によって違うわけで言いたいことも違うだろう。
そこで起きていることにことさらにコメントをする気もない。

ただ一つ気懸かりなのは、今度のオリンピックが自分の競技に人生の一部をかけている選手たちにとってきちんと力を競い合える場所であるかどうかだけだ。

もしもそうなら、選手たちの健闘を祈りたい。
そうじゃなかったとしたら、選手たちは不幸じゃないか。
だってアスリートにとって4年という年月は決して短いものではないんだから。

« 魔球の挑戦 | トップページ | 中華なGW »

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/85451/41022480

この記事へのトラックバック一覧です: 聖なる火:

« 魔球の挑戦 | トップページ | 中華なGW »