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運命の出会い

去年の11月くらいから、とても久しぶりの人たちに会う機会が急にてんこ盛り状態で、会社の同期会が数年ぶりに開かれたり、高校の同期会が22年(?)ぶりに開かれたり、大学のクラブの同期の飲み会をやって十数年ぶりに女子の方々に会ったり、そしてまた会社を去って別の生活をしている人たちと再会の飲み会をやったり、などと。
更に連絡先が分かった昔の友人に連絡を取ってみたりなんてことしてみたりなんかして、このーっ!!(広川太一郎風で。)

これだけ今までの人生での出会いを再確認するような機会が増えると、これってほうくの人生の先がそれほど長くないことを暗示しているのか??なんて思ってみたりして。
年代のせいかも知れないが、ふと我に返って昔を懐かしむ歳になってきているのかも知れない。

人は自身の存在価値をしばしば問うものである。
他の人は知らないが、ほうくは結構そういうこと考えるのである。

自分の生きている意味とは何か?
自分はこの世界に何を残しているのか?

哲学的なのか、妄想癖なのか不明だがこんなことを考えているときに久しぶりに会う人たちと再会し、しかも彼ら、彼女らの記憶にほうくが残っていることを確認すると、ちょっと嬉しい。
「ちょっと」なんて言ってみたが、実は「かなり」嬉しい。

人は一人では生きられない。
誰かとともに、または誰かの記憶と言い換えてもいいかも知れないが、そんな他者との関わりをもって生きていけるのだ。
自身とそれ以外との接触が、実は生きる糧となっているかも知れない。

つまり何が言いたいかというと、
あらゆる出会いは「運命の出会いである。」ということだ。
女を口説こうとして使う言葉じゃない。
だってその女との出会い以外のすべての出会いも運命なのだから。

大学でクラブに入って仲間になった。
しかし何かの拍子に隣の部室に入っていたら生涯出会うことはなかったかも知れない。
家が近所で友達になった。
しかし何かの理由でそことは別の場所に住んでいたら、そいつと出会うことはなかったかも知れない。

もちろん状況が変われば別の出会いもあったろう。
しかし、今知り合いであるそいつと出会うことがまさに運命だったのだ。

現在、さまざまな機会で再会している友人たちと利害関係はない。
お互いをつなぎ、お互いを再会させているのはただ、「会いたい。」と思う気持ちだけなのだ。
これこそ奇跡、運命の出会いではないのか?

そんなあなたに紹介したい本が・・・。

いや、そんなものあるわけないだろう。
でもそんなことを考えるときに思い浮かぶ人たちの表情が、みんな笑顔なのが嬉しいね。
そしてその人たちの記憶の中にほうくの場所があることを考えると、更に嬉しい。
ひょっとしたらこんなことが生きている足跡なのかも。

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コメント

「会社を去って別の生活をしている人たち」の1人です。
最近1年半ぶりに上京(南下)して、様々な感想を持ちましたが、そのうちの1つは「暑かった」。1年半のうちに、ほとんど人種が違うのではないかと思われるぐらいに、体温感覚や体温調節機能に違いが出ていたのです。

滞在中は、私は、一度もコートに袖を通すことはありませんでした。しかし、久しぶりに会った人たちも、外を歩く見知らぬ人たちも、みーんなコートを着ていて、コートを着ていない人はホームレスとおぼしきおっちゃんたちと私だけ。ホームレスのおっちゃんたちには、「コートなくても平気だよねえ?」と話しかけてみたくなりました。

極めつけは、宿泊先。相部屋形式のところに泊まったのが間違いの元で、風邪引いてるわけでも熱があるわけでもないのに、朝目覚めると汗びっしょりだったのです、毎日。だってねえ、羽毛布団というだけでtoo muchなのに(だって暑いからといって羽根をむしって減らすわけにいかないでしょ!)、寝るときエアコンを入れるのだよ、どの人たちも! 毛布があった宿泊先では、毛布1枚で寝るようにしてからは改善しました。

直感的には、この季節に、毛布1枚で過ごせるほどにエアコンが効いているほうがおかしいと思うのですが、他の人たちは、同じ環境で羽毛布団もかけて寝ているのだ。どっちが正常か異常か議論しても無駄なので、次からは個室のホテルに泊まらねばならぬ。

しかし、夏に上京したら、今度は私のほうが、冷房にガタガタ震え、夏とは思えないほどにモクモク着込んで過ごすことになるのは目に見えています。

原始人さん、コメントありがとうございます。
適当に略した結果、「原始人」さんになってしまいましたが、すいません。
きっとその生活ぶりは京都議定書のお手本のような感じだろうと想像できます。
暖かくなって、しかも家族との厳しい日程調整がつき、更にそっち方面への用事が発生するような極めて可能性の低い場合に、遊びに行きます。
(ニュアンスとしては「じゃ、また。」と同じですが・・・。)

ほうくさん こんにちは とっきーです。
いろいろと運命の出会いがありますが、印象に残る出会いを一つ紹介します。

入社して転勤で札幌に住んでいたころのこと
ある朝大通り公園でキャンペーンのチラシを配っている時に通勤途中のある男と目が合いました。
よく見るとその男は大学時代の部室が隣の部員で、お互い顔と名前の認識はあったものの、
4年間一言も話したことがない人でした。

まさかこんなところで。。。

あまりに印象的な再会に、あれが女性だったら東京ラブストーリーが頭に流れるシチュエーションでした。
(距離間は5メートル位がいいようです)

その夜は早速飲みにゆき、札幌時代は交遊がつづきました。
経歴的には結構シティーボーイだった彼は、すっかり道産子の生活に染まり、その後福岡に転勤になった後、
別の仕事につき家庭もでき永住する模様です。
それもまた運命でしょうか。。。

久しぶりに会ってみたいなと想っても二度と会いそうにない人
生まれ変わったら二度と会いたくないけどよく会っちゃう人
まだ知らないけど将来会うはずの人

出会いはほんと運命です。

とっきー、コメントありがとう。
思えばぼくたちの出会いも運命だったのかも知れません。
なんてことを考えていると、ひとつひとつの出会いに意味があるのだなあと思ったりします。
すべてが運命であるなら、どうせならいい出会いばっかりだといいのに、なんて思います。

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