« 2005年12月 | トップページ | 2006年2月 »

スケートの悪夢

先日久しぶりにスケートに行った。
どれだけ久しぶりかと言うと・・・。

小学校3年生の時に船橋ヘルスセンターで滑って以来という実に31年ぶりの久しぶりだった。
子どもの幼稚園の行事の一環で、親子でスケートということになったのだ。
ここはほうくの出番だろう。
こう見えてバランス感覚はなかなかのものだ。
スキーの感覚で軽く対応できるだろう。
息子に父親の勇姿を見せてやろうじゃないか。

・・・・・・。

スケート恐るべし。
靴をはいたまでは別にどうってことない。
しかしあのつるつるの氷の表面に出ると、滑るじゃないかっ!!(当たり前か。)
危ないじゃないかっ!!
しかも転ぶと、雪とは違って硬い氷が容赦なくこの身を打ち付ける。
痛い・・・。
痛すぎる・・・。

しかも子どもと言えば、確かにすいすいではないが幼稚園で何度かやっているのでちょこちょこ歩きながらそれほど転ばずに進んでいる。
神よ・・・。

周囲を見回すと、息も絶え絶えのほうくを横目に、お父さんお母さんたちが華麗に子どもの手を引いて滑っている。
そう、はなから初心者の親たちはこのスケートリンクには登場しないのだ。
ある意味いつでも挑戦者であり続けるほうくは31年ぶりに(というか初めてに等しい)スケートに挑戦してしまって現在勝利への過程にあるわけだ。(決して敗れ去っているわけではない。)

2時間後。
ある程度の手応えを胸にほうくはリンクを後にした。
また来るぞスケートリンクよ。
そしてその時は覚悟しておけ!
お前の表面をこの鋭い歯でぎっしぎしに削ってやる!!

寒空の下に誓うほうくであった。

同窓会の恐怖

高校の同窓会が開かれようとしている。
そしてほうくはそれに出席する回答をしてしまった。
卒業以来20年以上にわたり、ほぼ高校とは縁を切ってしまったような生活で、とはいっても別に過去を消し去りたいとか高校にたいそう悪い思い出があるとかではないのだが、ついに追っ手の網にかかり所在を知られることとなった。
別にそれはそれで嬉しいことなのだが。

当初、この同窓会に出席しようかどうしようかちょっと悩んだ。
既に高校時代の連中とはかなり疎遠になってしまっていて、しかもそれなりに当時仲の良かった連中は欠席か消息不明という事態。
そんな場所にひとりでのこのこ出かけていって誰もお話してくれずひたすら料理を食べて帰るなんてことになったらどうしよう、と。

そんなことを考え出すと一体高校におけるほうくの立場はどんなものだったのかを思い返してみるが・・・。
思い出せない。
思い出そうとすればするほど休み時間に野球をやっていたことしか思い出せない。
そういえば当時は教師のものまねとかしていたような気もするが。
しかし本人がその程度で果たして周りは認知してくれるのか??
でもほうく自身はめちゃくちゃ他の生徒のこと覚えているのになあ。

結局、出席することになった。
少なくとも数人はきっとお話してくれるだろうと思ったので。

そこでまた考え出すと、一体当日どんな服装で行こう??
そもそも同窓会なんてものをホテルでやったりなんていうのが初めてのことだ。
そんなオフィシャルな同窓会に出たことがないぞ。
クラブのOB会だって普段着で行ってなめた格好なのに。

そう考え出すとまたしても迷いだす。
そう言えば周りの連中はみんな金持ちだったような気がする。
その後の実態は知らないが、「花より男子」のつくしちゃんみたいな感じになったらどうしよう!
それはそれで話のネタにはなるのだが・・・。

そんなこんなだが、実はそれなりに楽しみにしてはいるのだ。
そんな時代に急に引き戻されたりすることなんてここのところなかったものだからね。

電車の中その2

ある平日の夜遅く、もう最終電車に近い時間帯だった。
疲れきったほうくはできれば座りたいところだったが、乗り込んだその電車は朝のラッシュ並みのぎゅうぎゅう詰め状態。
全く身動きが取れない状態だった。

「もうだめだよ、全然動けないよー。」
弱音を吐くほうく。
もちろん口に出してはいないけどね。

しかしその群集の中に一人、とても気分の悪そうな人がいた。
電車は動き出す。
ちょっと離れていたのであまり気にしていなかったのだが、不意に人の動きが波のように伝わってきた。
ほうくがその原因を見ようと顔を向けると、ちょっと酸っぱい臭いが・・・。
するとそこに驚愕の光景が。

もう絶対身動きが取れないと思われた超満員状態の電車の中で、きれいに円形の隙間ができていた。
気分悪くなった人が吐いたのだ。
その周りだけがきれいにあいていた。
もう絶対に身動きなんて無理な状態だったはずなのに・・・。

「人間て、すごい・・・。」
ほうくが人間の底力に感動した瞬間だった。

ボウリングな年末

ここのところ毎年、年末はボウリングである。
既に10年間、11回にわたって年末はボウリングだ。
しかも20ゲームもやっていた。2004年の年末まで。
そしてついこの間の年末もやってしまった。
しかしついに、ついに弱気になって今年は11ゲームになった。
4人でやっている。

毎年年末が近づくと、目標はこのボウリングになっていく。
何せ1日に20ゲームやるというのは大変な消耗だ。
それをよくも10年連続で続けたものだと、半ば呆れながらというのが本音かも知れない。

この4人とは一時期、恐ろしいくらいボウリングをやっていた。
週に3、4回は当たり前。
1回に平日会社帰りに関わらず最低7ゲームくらいやっていた。
ボウリングのために最終電車になってしまったこともある。

やっぱり量をこなすとレベルも上がり、本当にピークでやっていた頃は勝つのがかなり大変だった。
200出しても負けることとかあったし。
一番レベルの高い何年かは、トップは180アベ以上ないと優勝できなかった。

ほうくの腕前?
良く聞かれるのだが、最近本当にレベルが下がってお恥ずかしいことに平均150~160くらいまで落ちてきている。
回数こなさないとね。
最高点は276点。
これは一般人には結構な点数だと思うが。
ボウリングやっている人たちには・・・。
きっと「そんなもんか。」程度かも。

2005年の年末、ほうくは1位に大差をつけられての2位だった。
今年はボウリングも久しぶりにちょっと力入れようかと思っている。
ちょっと力のなさを痛感してしまったもので。
去年はこのブログも含めて、結構新しいことに挑戦したりしたので、今年はより発展させる形でいきたいかな。

他にも力入れることはいっぱいあるはずだが。
でもやっぱり力抜いていこう。
昔の一流バイクレーサーのインタビューが心に残っている。名前忘れたのが残念だが。
「気合入れて緊張してはいけないんです。集中しているけどリラックスしている状態がベストです。」
いい言葉でしょ。
力抜くのとは違うのかな??
まあいいや。そんな感じで。

電車の中

電車の中って不思議である。
みんな黙って座ったり立ったりしているが、聞こえてくる会話の内容には聞き入ってたりして。
(それでどうなったんだよ、結論言えよ!)
とか、
(おいおい、さっきと話が矛盾してるだろ、お前。)
みたいな調子で聞いてたりして。

小学生の頃、学習塾に通うので友達と電車で都内へ通っていた。
そのとき、友達の一人が、「木の実ナナ」はなんと呼ぶのかという話を始めた。
そいつは「このみなな」であると主張して聞かなかった。
理由は「木の実」は「このみ」と読むのだということだった。
確信は持てなかったが小学生だったほうくは、「いや、きのみななが正しいはずだ。」と反論した。
いや違う、絶対そうだ、という論争をしばらく続けていると、不意に横に立っていたおばさんがこちらを向いてひとこと。

「きのみななよ。」

きっと我慢できなかったに違いない。
しかも論争は解決し、心なしか電車の中の空気が晴れ渡ったような気がした。
それはうそだけど。
なんでそんな嘘を。

雪の港へ

年明けの3連休初日。
男の港、銚子を目指して車を走らせた。
家族を乗せて、東関東自動車道の景色が矢のように後ろに流れていく。

年末年始、6連休であったがどこにも行かなかったのでここは父親であるほうく主催のドライブツアーとなったのである。
目的地は銚子ポートタワー。
そしてその横にあるうぉっせ21にて銚子港からあがった新鮮な魚料理。
そして子供用に地球の丸く見える展望台、犬吠崎マリンパークまで計画しての家族ドライブ。

そして最大の目的は、
「今日は楽しかったね、パパ!」
という子供の感想だぁっっ!!

しかし銚子に近づくにつれて周囲が雪景色へ変わってきた。
雪でも降ったな、はっはっはぁ!
なんて軽い気持ちで流していよいよ銚子港脇の道路に出ると、不意に現れた漁船の周りに無数のカモメが。
頭の中に流れる八代亜紀のメロディー。
こ、これだよ男の港、銚子は。

しかしその盛り上がりを根底から覆す事態が。
雪が予想以上に積もっていて、どノーマルタイヤの車ではきついレベルまで来ている。
メインの道路はいいのだが、この港周辺の道は交通量もそれほどないようで、しかも中途半端に溶け出した雪がシャーベットのように・・・。

危険な香りを感じ取ったほうく(雪道で回転2回経験)は、坂道の先にある銚子ポートタワーを断念。
雪の影響のない銚子駅へいったん停車した。
途中、一面雪に覆われたショッピングセンターの駐車場で対策を練ったが、その際子供に「ぼくの人生で今日はめちゃくちゃな日だよ。」と痛烈な言葉を浴びせられ、HPが9に減少。
やくそうをつかった!(再びドラクエ風に)
危うく教会送りになるところだった。

銚子駅前の通り沿いの蕎麦屋で昼食をとり、そこの店員さんに雪がいつ降ったのか聞くと午前中降ったとのこと。
運の悪さを痛感しながら、しかし雪は止んでいるので、地球の丸く見える展望台を目指すことに決定。

小高い山の上の展望台の駐車場は、これもシャーベットに覆われてはいたがだいぶ解けていたことでコントロール可能な範囲だった。
そして澄み切った空気の中でぐるり360度の展望を満喫。
太平洋から九十九里の展望、そして風力発電の風車の数々を眺め少し感動である。
苦しみの末たどり着いたこの眺望に、満足、そして感謝。
子供は景色ではなく、雪のほうに注意を完全に奪われていたがとりあえず満足したようなので平和な気分で帰路に着いた。

鮮魚料理はなかった。なぜか天丼を食べてしまった。
ポートタワー、犬吠崎マリンパークも行けなかった。
しかし、確かに家族が一丸となってこの苦難に立ち向かい、最後は素晴らしい景色を目にすることができた。
ありがとう、銚子。
そしてさようなら。
更に滅多にない雪の日にあえて行ってしまった運の悪さも一緒にさようなら。

また来るよ、銚子。
そう誓いながら、暗黒の高速道路を風のように切り裂くほうくなのであった。
つづく。
つづくのかよ。

新たなる戦い

謹賀新年。
すっかり新しい年を迎えて会社も始まってしまった。

年末は一挙再放送のドラマ「女王の教室」に見入ってしまい、その2日目に突然子供が転んで流血の惨事となったため、大晦日にやっている医者をネットで探して行き、1時間半待ち。
突然の医者行きだったので録画の準備ができず最終回を見逃すという最悪の結果になった。
見たいなあ、「女王の教室」の最終回。

そして大晦日の夜は2画面でPRIDEとK-1を並列にして左右を切り替えながら鑑賞。
やはり吉田は強かった。
そしてボビー(バレンタインではないよ)の善戦と曙の苦しみも観戦。
「神の子」KID対須藤元気の試合とか、所がホイス・グレイシーに善戦した試合も見てしまった。
これには嫁から不満の声が。
2画面の両方が殴りあったり寝転がったり、流血したりという場面なのだから・・・。

そして明けて2006年元旦。
いつものように天皇杯を見たが、これも2画面の右の音声が出ないほう。
左画面では子供と一緒にドラえもんの日本一周旅行ゲームをやっていた。
サッカーはドラえもんに勝てない・・・。

もっとも浦和対清水なのでなんとなく浦和の勝ちは予想していたのでそれほど白熱しなかったのだが。
浦和はマリッチと契約しないようだが、この選手、結構いいと思うんだけど。
ブッフバルトの意向に合わないのだろうか。もう他のチームに移籍の噂もあるようなのでもうちょっと日本で見られるかも。

ということでワールドカップの年2006年が始まった。
日本代表がドイツに行き、千葉ロッテマリーンズが2連覇に挑み、ほうくはブログ2年目に挑む。
また新たなる戦いが今年も始まる。
スポーツ観戦に行きたい気持ちと家族の視線との戦い。
子供のアニメ鑑賞とスポーツ観戦のテレビでの戦い。
ワールドカップだって下手すればクレヨンしんちゃんとかに負けてしまうかも知れない弱さだが、可能性のある限り挑戦し続ける気持ちを忘れずにいこう。

« 2005年12月 | トップページ | 2006年2月 »