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ある日突然始まるその競技とは

その競技は唐突に始まる。
電車の中で、車の中で、あるいは道を歩いているとき、人は突如としてその競技が始まったことに気付き、自分がその瞬間から選手になったことを自覚するのだ。

その競技の目的とは、「ゴールすること。」である。
ゴールは自分自身で設定する必要がある。
過去の記憶、経験からできる限り短時間で自分のゴールを設定する必要がある。
しかし最初に設定したゴールを急遽変更することも可能だ。
なぜなら時間との勝負がもっとも勝利に近い道であるからだ。
周囲にゴールへのヒントが隠されている場合もある。
経験からもっとも近いゴールを導き出すこともある。

ゴールはサドンデス方式である。
勝つか負けるか、結果は二つに一つ。引き分けはよほどのことを除きありえない。
勝ちはゴールを決めることであるが、負けは「オウンゴール」である。
しかも敗北には決定的なリスクがある。
人間の尊厳を賭けた戦いなのだ。
負けるということは、人としての価値を否定されることに等しい。
恐ろしい戦いだ。
決して負けは許されない。

ゴールを駅に設定したとしよう。
駅にはリスクが存在する。
限りなくゴールに対する欲求が突き上げてくるにも関わらず、「待たなければならない」事態に陥ることがあるのだ。
目を血走らせ、若干顔も青ざめたゴールハンターたちが、限られたゴールマウスに押し寄せ、自分の番が回ってくるのを待っているのだ。
やっと自分の番が来たとしても、前の選手がゴールマウスを外している場合がある。
その決定力のなさに舌打ちをしながら、自分も時間もスペースもない中、最大限の決定力を発揮してシュートするのだ。枠に飛ばさなければならない。
冷静に。
チャンスは一度きり。
前の選手はオウンゴールはぎりぎり回避したが、ゴールを決められなかった。壮絶な引き分けであったらしい。よほどのことだったのだろう。
ジーコが「日本人はゴール前で焦ってしまう。」と、その決定力のなさを表現したことがあったが、日本の場合、欧米と違ってミドルシュートになる場合が多く、不安定な姿勢でシュートせざるを得ないことも決定力に影響していることを認識する必要がある。
そこで決めたゴールの快感は何物にも代えがたいのではあるが。

決して負けることの許されない競技。
それはすなわち自分自身との戦いなのだ。
真のアスリートは必ず自分自身に打ち勝たなくてはならない。
負けはすなわち、そこから家までの気の遠くなるような距離をどうするのかという絶望への転落を意味する。

電車の中で時々目を閉じて脂汗を流している者や、道を妙な中腰で時折小走りをしては急に立ち止まったりしている者を見かけたら、是非その瞬間サポーターとなって心の中で「頑張れ!」と応援して欲しい。
その人は今、敗北の許されない戦いを戦っているのだ。
ゴールに向かって、思うように動かない体を必死に引きずっているのだ。

明日はあなたがこの競技に挑むことになるかも知れない。
そのとき、弱気になってはいけない。
数知れぬアスリートたちが語るように、「経験と自信」があなたの助けとなるだろうから。

「絶対に負けられない戦いがそこにはある。WC」(ワールドカップではない。)

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