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ピンポン・ダッシュ

卓球の愛ちゃんは随分と成長したものだ。
その昔、愛ちゃんが本当に天才卓球少女だった頃、「これくらいならまだ勝てるな。」などとテレビを見ながら勝手に思っていたが、オリンピックの試合を見たところでは1ポイントも厳しいかも。サーブミスしてくれるなら、くらいまで上手になっていたので感動した。
卓球の思い出と言えば・・・。

中学受験でやっと入った中学をたった1学期だけ在学してアフリカ某国に移ったのは1979年の夏のことだった。
日本人学校なのでそこに通う生徒たちはほとんどの場合途中の学年で転校してくるわけだが、転校してきた初日から必ず卓球の洗礼を受けることになる。いわゆる先進国の大都市ではないので生徒数も限られており、学校自体もこじんまりしたもので、小学1年生から中学3年生までが一緒に遊ぶということになる。休み時間は軟式テニスのボールを使って手で打つ野球をやったりしていたが、スクールバスが出発するまでの放課後や、雨の日などはほとんど全員が卓球台の周りに集合して卓球をやったものだ。
私も中学1年で転入したわけだが、小学2年生からスマッシュを雨あられと浴びせられ、情けない気持ちでボールを拾いに走ったものである。とにかく最初は小学校低学年にも勝てない。ほとんど泣きそうである。当然小学校高学年や、中学生などを相手には勝ち目はなかった。勝ち残り戦のため、回ってくる順番であっという間に負け、負けるとまた最後尾に回るのだ。勝てば勝つほど卓球で遊べ、負ければまた順番待ち。これこそ年齢に関係ない弱肉強食、成果主義の世界だったのだ。
連戦連敗で屈辱にまみれた毎日を送るうちに考えることといえば、そう、自分自身のラケットを手に入れることである。なんとしてもこの屈辱的な生活からの脱出を図らなければ毎日がつまらないものになってしまう。そんなわけでペンホールダーにも関わらずヨーロッパで主流のシェークハンド用のラケットを親に買ってもらい、石造りの廊下の真ん中にティッシュの箱を置いて、当時中学3年の姉と二人で来る日も来る日も卓球の練習をしたのだった。廊下にべったり座ってラケットの使い方を習得していったがために、後に「フットワークのない卓球」と評される自己流卓球のスタイルが築かれたのである。

練習の成果が発揮されるのにそれほど時間はかからなかった。継続は力なりとは良く言ったものだ。今まで高いバウンドでしか返せなかったものが低く鋭い弾道になり、当初は弱々しかったものの、スマッシュらしき攻撃も始めたりして周囲の見る目もみるみる変わっていくのが快感だったものだ。その当時卓球で一番強かったのが、スポーツ系ではなかなかの運動神経を発揮していた小学5年生のちょっと生意気な子だったが、彼との対決にもぽつぽつ勝ったりしてくると、つまらなかった日々は一転し華々しいヒーローの世界に入っていったのだった。
いつしか日本人学校最強の地位を手に入れるに至っては、もはや天狗と化した井の中のかわず状態に到達していた。先生方も時折混じることもあったが、最強キノコをゲットしたスーパーマリオ状態の私に勝てる者はほとんどいなくなったのだ。最初は小学校低学年に敗れ去る日々が続き、最後は日本人学校最強の地位である。まさにアメリカンドリームだ。(使う場所ではないか。)

自分自身の成長を自覚するとスポーツに対する意欲はどんどん大きくなってくる。早く卓球がしたい。授業が終わってスクールバスが出発するまでの間にできるだけたくさん試合がしたい。早く、早く終わりのチャイムが鳴らないだろうか。待ってられない。まだ鳴らないのか。鳴った!!!
これこそ真のピンポン・ダッシュだ。(落ちはそれかよ。)

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