いつからサッカーが好きなのか
いつからこんなにサッカーを好きになったのだろう?
考えてみればいつからなのか良く分からない。
39年も生きてきてどこからサッカーに魅せられたのか考え出すと遠い記憶を遡ることになる。
親父がサッカーをやっていたという事実を知ったのはいつだったろう?
Jリーグ開幕時名古屋グランパスの監督をやっていた平木さんが先輩だと言っていた。高校でサッカーをやっていたらしい。
そういえば昔東京12チャンネルの三菱ダイヤモンドサッカーを毎週のように見ていた記憶がある。その頃解説は岡野俊一郎氏で、実況は金子アナウンサーだった。この番組は45分番組で1試合見ようと思ったら2週にわたって見なければならないという画期的な番組だった覚えがある。サッカー人気は当時はあまりなく、この番組も最後のほうは30分番組になって、なんと試合自体もダイジェストされるようになっていた。
当時の中継は「世界最高峰のブンデスリーガ」だった。良く歴史は分からないのだがドイツのリーグが中継されていた。覚えている選手はブライトナー、カール・ハインツ・ルムメニゲ、そして日本人初のプレーヤー奥寺である。リトバルスキー、ブッフバルトも当然知っていた。
あの番組は親父が見ていたのを一緒に見ていたのだ。きっと。
だからといってサッカーをやっていたわけでもない。小学校3年生のときに視力が落ちてメガネ生活に入ると、なんだか自然にスポーツだめお君的な扱いになり、小児喘息を患っていた関係もあって結局クラブ活動だってブラスバンドとかだった。
小学生の時に体育の授業で初めてやった「ラインサッカー」は覚えている。実は生涯最初のゴールを決めている。そんな記憶はずっと持っているのだから小学校の体育の授業は侮れん。侮れないのだ、教師諸君。
木村和司の伝説のフリーキック。リアルタイムで見てました。それでも負けたのだが。
オリンピック出場がかかった中国戦、見てました。水沼選手出てました。でもだめだった。
母校が全国高校サッカーに何度か出場したことがある。サッカー観戦はこのときが初めてだった。うちの高校は東京のぼっちゃん学校とか言われるところで応援団というものが存在しなかったのだが、このとき初めてクラスでも元気の良い奴が応援団長として気合を入れて応援したことが思い出される。母校はサッカーが校技だったので、サッカーは盛んだった。体育の授業でサッカーなんてことになると、それこそ全国レベルのサッカー部の連中が各チームに分散してキャプテンになるので授業でのサッカーのレベルも高かった。
いつからサッカーが好きなのかに絞ろう。人生はサッカーとともに歩んでいるのだから歴史を並べだすときりがないことが確認された。
つまり「サッカーは気がついたら生活の一部だった。」ということだ。結局。最終的に。そういうことにしたい。
サッカーのネタは尽きないのだ。今日もそして明日もサッカーは続く。サッカー好きの歴史は長くても短くても、サッカーが好きだという気持ちは大事にしていこう。
傍らにサッカーのある人生。いいんじゃないの?
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